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JASC BLOG
第58回日米学生会議 ブログ
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JASCが終わってしまって早5ヶ月目に入りました。
そして、実行委員の中でもっとも、英語が苦手だった山田裕一朗は、今、スペイン語圏います。「オラ」と気楽に挨拶してみたものの、さっぱりその次がわかりません。

でも、大丈夫!!コミュニケーションで一番大事なのは、心です!!

といいつつ、今日、必死で数字を覚えました。

ちなみに、前の日記でJASCのその後、みんな、それぞれのやりたことをやっているというとで、山田は就職前に最後の卒業旅行に出ています。その紹介をということで。(後、続いてください…)

その先は南米。

これまで、シカゴ、マイアミ経由でリマ(ペルー)に入り、そしてクスコ、アグアス・カリエンテス(マチュピチュのふもとの町)、プーノ(テォテォカカ湖湖畔の町)、ラパス(ボリビアの首都)、ポトシ(あの銀山で有名な)と進んできました。

これから、ウユニ塩湖(ソルトレークシティなんか目じゃない?!)、チリへと抜けます。

ちなみに、現在いるポトシの紹介を少し!!
ポトシは世界で一番標高が高い都市。その高さはなんと4000m以上。(空気が薄い・・・)そして、この町を有名にしているのは、古くからの町並みが世界遺産に登録されていることもさることながら、世界史の授業では必ず登場してくるポトシ銀山のふもとの町だからです。

今でも鉱脈は拡大し続けていて、そこで1万2千人の男たちが採掘を続けています。そんなポトシの鉱山に、今日行ってきました。

鉱脈の中は、酸素の薄さと飛び交う煤塵ですさまじいものでした。すぐに息は切れ、口内も何かミネラルのような埃でいっぱいになってしまいます。そこをインディヘナの労働者は1日8時間、コカの葉を噛みながら仕事をしているとのことです。

ちなみに劣悪な環境ゆえ、その鉱山の労働者は平均寿命が45歳程度だそうです。(鉱脈の崩壊やガスの発生もあるとのこと。)

そうした環境でもとおりがけに「オラ」と挨拶をくれる彼らに感銘を受けました。

そんな体験をしながら、南米をこれから縦断にかかります。

その後は一度、日本に帰り、ドバイ経由でヨルダンへ。
ちなみにJASCの仲間が今、ドバイで働いているので、ぜひあってこようなんて思っています。

JASCにはいろんな人が集まります。
本当に多様です。
みなさんもぜひ。こちらへ

マチュピチュの写真

まちゅぴちゅ

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一年間、様々な方に支えて頂きながら、第58回日米学生会議の事後活動がフィナーレを迎えようとしています。

一年間、実行委員として会議に関わった感想を、以下に述べたいと思います。

結論から先に述べると、日米の実行委員16名で会議を企画運営するというものは、なかなか面白い体験です。

私はそれまで音楽やスポーツ、そしてスピーチなど個人主義的な活動に関わることが多かったので、新鮮な体験でした。特に日本側の8人との実行委員は、多くの時間を共有しました。理念合宿や選考合宿で朝も晩も一緒にいたり、発送作業などで一日中一緒にいることもあります。その中で、一緒に会議を作り上げていくので、衝突や摩擦もあります。けれども、それは私たちが良い会議を作りたいという想いのもとに、納得の行くまで議論をしていることの表れだと思うのです。そして、一緒に会議を作っていくわけですから、衝突があっても自分からも、皆からも逃げれません。そういう状況を一緒に経験するからこそ、実行委員間で固い信頼関係が成立するのだと思います。

そういう意味で、ここまで1つの目的のもとに、16人と活動できたのは、私の誇りであり、今後の人生において大きな糧となるでしょう。

実行委員の仲間からは、学ぶことが多かったです。それは手紙や時間表の作り方などの実務的な面であったり、紛争解決の方法であったり、ユーモアや優しさというソフトな面でもあったりします。文章では表せないぐらい、皆には感謝しています。

日米学生会議において、学生として何ができるか、というのも繰り返される問いかけでもありました。日米学生会議の創立から72年後、72人の学生がこの夏、何を想い、何を考え、何を実行してきたのか、12月3日の報告会で見ていただければ幸いです。

******************

以下、報告書の感想文を抜粋させて頂きます:

一年間のJASCを通じて学んだことはたくさんあるが、自分の未熟さをより理解することができたというのが一番重要で大きな発見であろう。

『10人を変えることができなければ、100人を変えることができない。
100人、1000人を変えることができなければ、社会は変わらない。』

という格言を私は信じきっていた。1934年、日米学生会議の創設者たちも、まずは自分たちのできる範囲で日米の学生の相互理解を深めることで、学生、そして社会を変えていこうという理念でアメリカに渡ったのであろう。誤解を恐れずに言えば、日米学生会議も人を成長させる1つの人材教育機関として、その企画・運営に関わることができることに喜びと使命感を感じていた。自分は何と傲慢だったことか。1つ重要なことを見逃していた。上記格言は一部真なのだが、補足ないし訂正が必要である:

『自分を変えることができなければ、他人も社会も変えられない。
自分を知ることができなければ、自分も変えられない。』

そして、日米学生会議は自分をより良く理解し、変える大きなきっかけとなった。

日米学生会議が創設された1934年から2006年まで、世界平和は一度も訪れたことがない。軍事技術の進化などで戦争・紛争・テロなどで死ぬ人数は20世紀前半と比べると格段に増えている。

けれども、同時に私たちは着実に一歩を踏み出している。61年前まで殺し合いをしていた国の若者たちが、一ヶ月を寝食を共にしている。寝食を共にするだけでなく、一緒に歌ったり、ドッジボールをしたり、飲んだりしている。米軍再編とイラク戦争について議論し、一緒にグラウンドゼロを見て、一緒に泣いたり笑ったりしている。議論に議論を重ねて、一緒に会議を企画運営している。一ヶ月間自分と他者を見つめることで、成長していく。希望の灯火が次の代へと受け継がれ、日米学生会議を経験した人たちが、社会に羽ばたいて行く。

このような未来に向かう歴史の積み重ねを絶やさないことが、一番大事なのではないか。財務活動などを通じて、安定している日米間で会議を開催することの意義を疑問視する声も聞いたが、安定していると言われる時だからこそ、気を抜かないで日米間の結束ないし協力関係を促進する意義があるのだと思う。そして、そのためにはまず自国のこと、そして自分のことを知り、自分から変えて行くことが重要だと思う。

担当:副実行委員長 島村明子
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こんばんは☆引退した?世代交代をした?実行委員の生板沙織です♪カウントダウンの4番目を務めさせていただくことになりました~。それにしても、私の前の3人は、やはり情熱家です。最近、「熱いのはカッコワルイ」という人が多く思いますが、私は、情熱家ほどカッコイイ人はいないと思います。何かにホンキで打ち込める素晴しさをJASCを通して改めて実感することができました!今週末の報告会が終わった後も、8人で記事を書き続けることができたらなぁと今書きながら思っています。大学生活の2年間をJASCに費やした私は、一体どのようなことを考え、想い、感じたのか…それをぎゅぎゅっとまとめてみました:


 毎日の忙しい生活の中で、ふとラップトップの作業を中断し、別のファイルを開けて夏の写真を眺めてみる。同じような写真を含む数百枚の写真を何度見ても、飽きない。画面を覗き込んでいると、またあの場所に戻れるような気がしてくる。もしかしたら、その数分間は戻っているのかもしれない。
NIIP



「私は、アメリカを心の底から愛している。」


WTC

いつも写真を見終わると同時にその想いがこみ上げてくるのだ。
運営に携わった一年間は実に早く過ぎ去ったが、あの短い時間に収まっていることが不思議であるほどの思い出が詰まっている。昨年の会議が終わりに近づくにつれ、私は「やっと終わる…日米学生会議なんか一回でいい。実行委員は絶対になりたくない。」と思うようになっていた。そんな私がなぜそこからまた一年間、日米学生会議に魂を打ち込むことになったのか。それは、アメリカを本当に愛していたからである。

 私は日本で生まれ、大学に入学するまでアメリカで育った。そのため、国籍は日本人でも、心の中は常にアメリカ人だった。帰国してから、イラク戦争を受けて、同世代の若者が「反米」となったことに非常にショックを受けた。アメリカをもっと理解してほしい、そして好きになってほしい、という思いが徐々に強くなっていった。メディアに惑わされずに実際にアメリカに行き、アメリカ人と触れることができたら、アメリカ人は戦争好き、横柄、傲慢だというステレオタイプを緩和することができるのではないかと思い、それを達成するには日米学生会議が絶好の場だと思った。

 そのような想いから始めた実行委員だったが、本会議まで多くの失敗や苦い思いも味わった。私は選考を担当していたのにも関わらず、選考が一番忙しい時期にもう辞めてしまいたいと何度も思った。しかし、その都度、11月に日本側実行委員で一ヶ月も費やして話合った会議の目的と理念を思い出した。各年度によって設けられる会議のテーマは異なるが、常にその根底にあるのがという日米学生会議創立以来の理念である。「世界の平和は太平洋の平和にあり、太平洋の平和は日米間の平和にある。その一翼を学生も担うべきである」今、面倒くさいと思っている作業も、辛いと思える時間も、平和のためなら一つも無駄にならない。もちろん、私一人や実行委員16人で世界を変えることができるとは到底思わなかったが、その理念が私の原動力となったのである。

 アメリカに対するイメージがどれだけ改善されたのか、はっきりと数値で表すことはできないが、一つ一つの写真に映し出される笑顔を見ていると、日米学生会議という小さなコミュニティーの中だけでも平和が生まれたのではないかと思う。

 最後に、本当に家族のように愛している実行委員に心から感謝を伝えたい。Thank you Yuta, Akiko, Machaaki, Eichan, Hatako, Hanchan, Philip, Sheehan, Yoko, Geoff, Kenchan, Loc!, Rachel, Benchan, Daichan, and Sydnie!! I LOVE YOU SO MUCH!!
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実行委員の国松です。
二日間何を書くかについてあれこれと悩みましたが、伝えたい事はシンプルな事なので、その方法もシンプルでいきます。


日米学生会議実行委員をやって学んだこと

5 > 2 ではあっても、例えば 5 円 と 2 g だったら、その優劣はつけられない。
基準が違うからだ。
同様に、「ある人」と「別の人」を比較しても、その優劣は測定不可能だ。

他人と競ってばかりいた自分が、他人と比較しなくなった。
他人と比較しなくなったら、全ての人が前よりもずっと魅力的に見えてきたし、自分のこともちょぴり好きになれた。
自分のことを好きになれたら、何だか心も体も軽くなったような気がして、毎日が楽しくなった。
毎日が楽しくなったら、他人に優しくなった。
他人に優しくなったら、その人も優しくなった。
その人がまた別の人に優しくなったら・・・


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日米学生会議実行委員メンバー感想文第二段!!

大学でフィリピン人に似ているから、ふぃりっぷと名づけられ早3年が経ちそうな山田裕一朗がお送りします。

最近、
よく飲み屋で、バイト先で、国際系学生団体の交流イベントで、二つの質問をされる。

「日米学生会議ってどんなん?」
「なんで日米学生会議に参加しようと思ったの?」

一つ目については、WEBサイトに出ていますし、昨日の報告会カウントダウンで唐沢が書いてくれているので
ここでは省略します。
詳細はこちら⇒http://www.jasc-japan.com/about/index.html

二つ目こそ今日のテーマ
「なんで日米学生会議に参加したのか?」

もっとも、日米学生会議(以下JASC)に参加するようになった、3回生まで、ぼく自身は、平日は居酒屋で、油
まみれになりながら焼き鳥を焼き、「お料理あがりましたー!!」と叫び、週末は酒を飲み、たまにサークルで
バスケをするくらいのふつーの学生だった。

唯一、普通の学生とちょっと違うなーというのは、バイトで貯めたお金を、ほとんど、いや全部、海外旅行に費
やしてきたところ。

アジア編
ヨーロッパ編

そこにぼくのJASCへの参加のきっかけが眠っている。

あるカンボジアとタイの国境のまち ポイペト
子供たちは「ヌンバーツ、ヌンバーツ、ヌンバーツ(タイ語で1バーツという意味)」と叫ぶ。
しかも、その目に光なんて感じない。

そんな光景を目の当たりにしても、ぼくはびびって見ていることしかできなかった。

資本主義は何をもたらすのか?
貧困とは何か?
なんでそんな貧しい人と、世界の富を集めまくるアメリカという国があるのか?


ふと足を止めた、あるハマ(シリア)のスポンジ屋
 [ベット用のスポンジしか売ってなかった・・・?!儲かるのかなと思いつつも、ティーをご馳走になりながら]

店員のにいちゃん(片言の英語で)「なんで日本の軍隊はイラクに行くの?日本はぼくらの友人だと思ってたのに。
アメリカとは違うと。」
ふぃりっぷ 「うーん、、、、、」(明確な答えがない。でもここで何か言わなければ!!)
ふぃりっぷ「たぶん、アメリカ軍の基地が日本にあるからだよ。それに、安全保障上、アメリカの言うことは、無視し
続けれないから。」

でも、本当にそうなのか?
なんで、どこいってもアメリカって嫌われているのか?
日本とアメリカって。

確かにアメリカは、旅行していても嫌われていると肌で感じることが多い。インドビザなんて、アメリカ人は日本人の数倍払わないと取得できない。パキスタンだって同じ。カナダ人は絶対に、カナダ国旗をバックパックに貼り付けて歩いている。アメリカ人とは違うと示すように。

そんな中でアメリカに対しての嫌悪感は徐々に強まりアメリカを嫌いになっていった。


やっぱし
嫌いで済ませていいのか?
嫌いといっているだけで何か変わるのか?(日本の言ってるだけだめ政治家みたいじゃないか。。)

じゃあ
アメリカ人と語ってみるしかない。
そう思ったのがJASCに参加したいと思った、最大の理由だ。



それからもう一点は、「何か学生中に大きなことをしたいと思ったから。」だ。

すごく単純だけど、田舎にキャンパスのある大学に飽き、大学生活の単調さと目標のなさに、落胆していたそんな時
だった。

中学時代は校則による拘束で腐りきった学校に娯楽をと、文化祭開催を目指したり、高校時代は、なんで、白っぽい色の靴しか履けないんだという、これまた校則に対する素朴な疑問から学生服をなくしてやろうと思ったり、どちらも失敗したけど、いろいろと自分なりに考えて行動してきた。

それに比べて、ただ授業を受けるだけの大学生活の、その何も生み出さない止まりきった時間に辟易していた。

だから、そんな自分になんとかして変化の兆しを持ち込みたかった。

以上の二点が、JASCに参加した理由だ。

次にこんな質問もされるかもしれない
「日米学生会議に参加して何か変わった?」

アメリカについてこたえるなら、こんな感じかもしれない。
「ぼくの見ていたアメリカはワシントンやニューヨークで、アメリカ全体でも、アメリカ人でもなかった。ましてや、NYやDCで
さえも、メディアを通してか、人の話を聞いてしか知らなかった。」
「理解し合ったとき何人かなんて関係ない。」
「もう一度、アメリカに行きたい。かけがえのない仲間に会いに。」

確かに、アメリカという国に対しては今でも嫌いな部分はあるし、理解できない面も多い。だけど、アメリカをどっかで聞いたアメリカで判断するようなことはしたくないと思うようになった。

大学生活については、こう答える。
「寝る時間よりも明日やらなきゃいけないタスクが気になった。」
「一生忘れない夏を過ごせた。」
「人生を通しての語り合える仲間ができた。」

日米学生会議を通してアメリカに自分に本気で向き合った二年間。
その二年間はぼくにかけがえなのない宝をくれた。

「仲間」

第58回日米学生会議報告会

JASC58 集合写真




ディスカッション IN AU



スタントン&ふぃりっぷ

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